2013年12月3日火曜日

WHOにおける「平時」のインフルエンザ対策~新たなパンデミックに備えて~



昔の未公開原稿から。少し古いですが。。。。

はじめに
 2009年に発生したインフルエンザA(H1N1)pdm09WHOは国際保健規則(International Health Regulation: IHR2005))上の「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」とし、国際社会と連携して感染拡大や健康被害、並びに社会の混乱を最小限にするために様々な対応を行った。このような緊急対応については報道などでもご覧になる機会があったであろう。しかし、緊急時において効果的な対応を行うためにも平時からの対策が重要であると言える。今回は、WHOにおけるインフルエンザに対する「平時」からの対策として、主に情報収集とそれに基づく対策の意思決定を目的とするサーベイランス、ワクチン、そして治療に関する情報提供に関する取り組みを紹介し、さらに日本の貢献と今後の期待を述べる。

1.           サーベイランス
  サーベイランスは、インフルエンザウイルスの動向や特徴を把握することで、ワクチンのためのウイルス株の選定や、必要な対策の意思決定に用いられる。また、新型インフルエンザの早期探知も担っている。サーベイランスに必要な情報を集めるには、様々な地域や国の質の高い研究所だけでなく、患者からのサンプルの入手と運搬、さらには重症患者の把握などが可能となる医療体制が必要である。
 サーベイランスは、WHO Global Influenza Surveillance and Response System(以下、GISRS)http://www.who.int/influenza/gisrs_laboratory/en/)と、臨床的なデータのサーベイランスが行われている。
 
WHO Global Influenza Surveillance and Response System(以下、GISRS)
 GISRSの歴史は1952年よりWHO Global Influenza Surveillance Network (GISN)としてインフルエンザワクチン株の選定、インフルエンザワクチンの出現やパンデミックの可能性に関するアラートの発出を目的して主に各国の研究所を中心とした対応が始まった。2011年に体制がより強化され、現在のGISRSに改称された。これまでの「ネットワーク」よりも、さらに具体的に技術支援や、サーベイランスとそれに応じた対応もできる「システム」として強化された。GISRSの関連施設は、106各国に136ナショナルインフルエンザセンターがある。ほぼ全世界を網羅できる規模になっている。日本の国立感染症研究所を含めた5施設がWHOコラボレーションセンターとして重要な役割を担っている。

 GISRSには主に5つの役割がある。
1)ウイルスのモニターと研究所における対応
2)研究所での診断能力の向上
3)ワクチンに関する方針の検討や開発
4)研究所などのキャパシティを高める活動
5)ネットワーク作りと臨時の対応

1)ウイルスのモニターと研究所における対応
  ウイルスの継続した遺伝子や抗原のモニター、ウイルスの知見の共有(Flu net http://www.who.int/influenza/gisrs_laboratory/flunet/en/ など、積極的なウイルスの共有と結果の報告、意思決定のための情報提供、抗インフルエンザウイルス薬の効果や耐性のモニターなどを行っている。こうしたモニターは様々な国にあるナショナルインフルエンザセンターにて行われる。これらの結果を反映されたものがInfluenza Updateとして(http://www.who.int/influenza/surveillance_monitoring/updates/en/
各国の流行の状況や最新の臨床的な文献http://www.who.int/influenza/surveillance_monitoring/updates/latest_update_GIP_peer_reviewed/en/index.html#)を2週間毎に提供している。最近は、インフルエンザB型の重症例の報告や、インフルエンザに合併したステロイド使用が推奨されない結果のまとめが掲載された。WHOのインフルエンザサイトではアクセス数をカウントしており、日本は米国に次いで2番目のアクセスをいただいており、すでに関心が高いといえる。しかし、米国の1/3である。より多くの臨床の先生方にも時に参照いただければと考えている。
http://www.who.int/influenza/surveillance_monitoring/updates/2012_02_17_influenza_update_153_week_05_main.jpg

2)研究所での診断能力の向上
 研究所での診断能力の向上のために教育だけでなく、技術提供としてPCR検査の標準化、試薬の提供を行っている。さらには、迅速診断キットなどの開発のサポートも行っている。

3)ワクチンに関する方針の検討や開発
 ワクチンに使用するインフルエンザ株の選定を定期的に議論する専門家会合を開催している。毎年2月に北半球、9月に南半球に流行株の予測を行い(最近は数学的モデルなども用いて)次年度のワクチン株を決定している。また、ワクチン製造会社と協働してワクチンの増殖性の評価(時に株がワクチンとしてはよくても、増殖が悪いこともある)も行っている。
 今後パンデミックの可能性のあるウイルスに対するワクチンの開発(H5,H9,H7,H2)なども行い、技術開発の支援といったシステムにおいて特に発展途上国が便益を受けられるように配慮されている。
 ワクチン接種の回数や対象とする年齢などの方針も示しているが課題も多い。特に発展途上国において大きな課題となるのは、インフルエンザワクチンは毎年、しかも小児などは複数回接種しなければならないことである。日本では可能なことでもヘルスシステムが十分ではないところでは難しい。また、すでに多くのワクチン接種が行われており、インフルエンザワクチンをさらに追加することは困難であり、近年は効果的な治療体制の在り方の検討によりインフルエンザの疾病負担を減らすことも検討されている。

4)研究所などのキャパシティを高める活動
 アフリカや中東における研究所のキャパシティの創造と強化や様々な教育を提供している。近年はこれまでインフルエンザの情報の少なかったアフリカにおいてもサーベイランス活動の連携なども活発に行われている。http://www.who.int/influenza/preparedness/africa_flu/en/index.html

5)ネットワーク作りと臨時の対応
 定期的な会合、国家間の会議などを定期的に行っている。

臨床的データのサーベイランス
 臨床的なデータについても、サーベイランスを行い、特に重症度の高い世代(インフルエンザの重症度は特に年齢に依存しているため)、感染経路の変化、重症例の評価(細菌感染の有無、脳症の有無)、重症度の変化などを対象にしている。
 これらのデータを早期に集め、さらには情報を共有するようにするのはもちろんであるが、データの信頼性を確保するといった努力も同時に行う必要がある。なかには不十分や情報や噂のたぐい、単なる間違いといったこともデータに含まれることがある。
 インフルエンザに限らず、様々な感染症の噂などについてはネットの中にあふれる用語などからスクリーニングする方法といったものも使われている。しかし、基本的には各国が報告するインフルエンザ患者のデータをそれぞれのサイトから集め、チームで定期的(例えば2週間に1回)に議論を行うといった地道な作業も行われている。また、臨床、疫学、ウイルス学、数学的モデリングを行う専門家のネットワークとも定期的にやりとりを行っている。さらに論文や各国の定期刊行物を確認することも作業の一つとして行われている。
 鳥インフルエンザH5N1の感染事例も優先的にモニターされている。当初はインドネシアからの報告が多かったが近年はエジプトが増加している。しかし、この増加は実際の患者の増加ではなく、研究所のレベルの向上や医療体制の向上によって増加のように見えている可能性がある。


2.ワクチン対策
  インフルエンザワクチンは、予防と重症患者を減らすためにも重要な対策である。ワクチン株の選定は前述したが、2006年に示されたGlobal Action Plan for Influenza Vaccineshttp://whqlibdoc.who.int/hq/2006/WHO_IVB_06.13_eng.pdf)では、インフルエンザワクチンの使用の増加、ワクチン製造体制の強化、ワクチンの研究開発が3つの主要な目的として上げられ、現在も続けられている。
ワクチンの研究開発は、インフルエンザの生ワクチンの開発が進み、米国などでは使用されつつある。今後わが国でも使えるようにすることが期待される。また、インフルエンザワクチンの効果をさらに高める技術開発や、細胞培養によるワクチンの製造なども行われている。

3.インフルエンザ治療への貢献
 治療に関して専門家によって合意の得られたガイドラインが提供されている。(http://www.who.int/influenza/patient_care/clinical/en/index.html)。
ガイドラインなどは結核やHIVの有病率に配慮したものや、鳥インフルエンザH5N1の治療の情報も提供されている。
 また、パンデミックに備えた抗インフルエンザウイルス薬の備蓄も行っており、現在はドバイの国際連合食料農業機関(FAO)の施設にて管理されている。抗インフルエンザウイルス薬の備蓄には有効期限が課題となるため、今後は製薬会社と協力して、マーケットにある抗インフルエンザウイルス薬を活用しながらコストを下げ、効果的な備蓄を行うことが課題である。

4.WHOから見た日本とインフルエンザ
 2009年のパンデミックの際の日本の死亡者は約200人、そして妊婦の死亡が課題となったがわが国ではゼロであったように諸外国に比べて死亡者が少なかったことは世界に誇ることである2)-3)。その背景には、臨床医のインフルエンザ治療に関する意識が諸外国よりも高く、迅速診断キットや抗インフルエンザウイルス薬の扱いに慣れていたことや、演習などを通しての発熱外来などの公衆衛生対応などがすでに準備されていたことも寄与していたと推察される。
 日本において死亡者が少なかったことを世界が注目しており、その背景にある要因について英語論文等での発信が期待される。また、日本は、脳症などの重症例への知見なども豊富であり、また静脈注射できる抗インフルエンザウイルス薬(Peramivir)が使われるようになっており、そうしたエビデンスを世界は求めている。
 日本におけるインフルエンザ対策における技術的、資金的協力は世界のなかでも有数である。技術的には、国立感染症研究所の田代眞人先生や岡部信彦先生はWHOの委員会の委員として長年貢献をいただいている。また、東北大学の押谷仁先生は、InfluenzaPublic Health Research Agendaの部会の議長をされた。北海道大学の喜田宏先生は、国際的な鳥インフルエンザのレファレンス研究所を主宰されている。さらに臨床医の貢献として、けいゆう病院の菅谷憲夫先生はWHOH1N1インフルエンザの治療に関するマネジメントの委員をされている。岡山大学の森島恒雄教授はインフルエンザ脳症に関する豊富なデータをもとに治療にあたって世界をリードするガイドラインを策定している。

おわりに
 インフルエンザは10から30年毎に新たなウイルスが出現し、パンデミックを繰り返している。今後もおそらく同様と考えられる。そのためにも平時からの備えを継続して行うことが求められる。WHOとしては、各国の情報や新たなエビデンスをとりまとめ、また各国の連携を強化し、さらには、各国の医療提供体制の向上を支援することに寄与できる。2009年のパンデミック以降、鳥インフルエンザH5N1の流行の可能性も含めて多くの国でさらなる対策の意識が以前ほどは高くはなくなっているが、地道な対策を積み重ねることの重要性を共有し、協力して対策を進めていく必要がある。